無意識と無認識

普段意識しないものほど、なくては困る。

 

 

普通に生きているということは、

無意識に、無認識に、いろんなことが

とどこおりなく行われているから。

 

 

普通に生活ができているということは、

無認識に、いろんなことを誰かが

してくれているから。

 

 

なにかがひとつ欠けても成り立たない。

いてくれてありがとうという感覚。

 

 

これは感覚だから、頭でわかろう

としてもわかるものではない。

 

 

感じるものだから。

 

 

わたしの好きな言葉に、

「説を取らば得べからず

(ことをとらばうべからず)」

 

 

という言葉がある。

 

 

これは、六根清浄の大祓

の中の言葉。

 

 

六根清浄の大祓自体がとても

優しくて力強くてあたたかい内容

なので、興味があったら見てみる

といいと思うけど。

 

 

話を戻して、

 

説を取らば得べからず

(ことをとらばうべからず)

 

というのは、頭や理屈、理論で考えたら

得られないよ。

つまり、わからないよ、というような意味。

 

わからない、わからない、と苦しい

ときというのは頭でわかろうとしている時。

 

 

そんなときは、

わかろうとするのをやめて感じてみようと、

意識を切り替える時のお知らせ。

 

 

 

無意識、無認識に目を向けて感じて

いくと、つまり意識的に思いを馳せて

感じてみようとすると、

時間がかかるかもしれないけどやがて、

圧倒的な無数の存在たちに、

その完璧さに、

圧倒され感動し、

涙が出てとまらなくなる瞬間が来る。